産婦人科医のおじさんと泌尿器科医のモモ先生と看護学生のかすみちゃんのブログ

性教育に関するブログです。産婦人科の男性医師と泌尿器科の女性医師と看護学生の女の子がいろいろ話します。それぞれ筆者への質問は https://peing.net/kamishige0315 で受けます。

改めて自己肯定感ってなんだ?最初から必要?

 自己肯定感とはネットで調べると「自己を肯定する感覚」、つまり「自分は大切な存在だ」と感じる心の感覚と書いています。ですので、自己肯定感が高いと、「自分は大切な存在、価値ある存在だ」と感じている、ということのようです。

 

 自分が大切な存在とは一体どのようにして作られるのでしょう。

 

 私たち人間は自分の存在価値や意味を周りの人間との感覚から悟ります。自分周辺の人間からどのような評価を受けているか、自分自身が周りの人間に対してどのような役割を担っているかなどの空間的な関係から自分が感じることが存在価値なのかもしれません。したがって自己肯定感とはそのときの状況、周りの人間関係などで簡単に変化するものだと考えます。いつも高い自己肯定感を持つことは不可能なのだと。そのために色々な原因で自己肯定感が落ちた時にその状況からどうやって脱するか、または自分を癒すことができるかが大切であり、それができる人が自己肯定感を持っている人と言えるのでしょう。

 

 では、そのような感覚はどのようにして持つことができるのでしょうか。

 

 私は性教育の授業でいつもつながる力を持つことを強調します。心から相談できる親友や大人、心が辛くなった時に自分を癒してくれる、友人やグループ、またそれは人との関係だけではなく、心地よいと感じる音楽や趣味なんでも構いません、とにかくたくさんの人や物とつながることができる力を自己肯定感と呼ぶのだと思います。世間はよく自己肯定感の低い若者に対して、今の若者の風潮だとか、自己肯定感が低いから望まれない妊娠や性感染症になるのだと言います。

 

 リストカットも自己肯定感の低さの現れだと言う人もいます。でもはたしてそうでしょうか。人間である限り相談する相手がいなく、色々な社会や人間関係からどん底に落ちてどうしようもなくなる時があります。そんな時、依存するものが無い、または少ない場合にはその関係から自分ではどうしようもない状況に陥ることもあるでしょう。でもそんな中でこの子たちはリストカットに光明を見出してなんとか生きようとしている。さげすまれるかもしれないと思いながらも勇気を振り絞って病院を受診してきたのです。そんな子たちの自己肯定感が低いとは私には思えません。

 

 以前私にメールをくれた17歳の女性がいます。彼女は友人とも家族とも楽しく普通に生きていたのに、ある習い事の先生から性被害を受けその後、学校にも行けなくなり、寂しさから援助交際をくり返していました。精神的にも病んでいたのですが、そんな彼女が立ち直ったのは周りの人の対応、とりわけ親の対応でした。精神的に病んで学校にも行かなくなった彼女に対して怒ることもせず、また特に指導もしませんでした。いつまででも彼女が自分一人でゆっくり考えることができる環境を整えたのです。

 

 彼女からのメールの一節です

 「そもそも理想の環境って人によって違って、同じことをされて愛情と感じるか干渉と感じるかの基準は人によって違うんです。なにか大きなきっかけで、その人の軸がぶれるので、その人の基準にあわせて、軸がもどるまで様子をみないといけない。そうでなかった時、その人にとっては環境が悪いってことになるんです。」

 

 このあと立ち直った彼女はたくさんの友人を作り、色々なグループに入って自分と色々なつながりを持つものを増やしました。

 

 彼女は「最初からこんなふうに色々な人と色々なものとつながっていたら私はもっと心が楽だったし、暴力された後ももう少し違った生き方をしていたと思う。でもあの経験があってあの親の対応があってこの事に気づけた。小さい時から親に色々な人とつながりなさいって言われても多分反発していたと思う。」と言っていました。

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 自己肯定感って色々な経過を経て、つながる力を持つことができるそんな能力であり、回りの大人はその子の環境や性格に合わせて対応しなければいけないのです。